他人のための生活
2023/06/02
「青春は利己主義をもって終わり、老年は他人のための生活をもって始まる」
遺品整理や特殊清掃を行うにあたって、クーンの父親の箴言ほど私の耳元で強く聞こえる言葉はありません。言わずと知れた「春の嵐」(著 ヘルマン・ヘッセ、訳 高橋健二)の比較的有名な一文ですが、実際読んでみると補足文があることがわかります。
「それがわかりきったことと思えなくなったものは、めぐる日々の中にむさぼるように油断なく、真の生活の瞬間―そのきらめきが人を幸福にし、時間の感情を、全体の意義と目的とについてのいっさいの考えとともに、ぬぐい去る瞬間―を求めるのである」
「それがわかりきったことと思えなくなったもの」の「真の生活の瞬間」への欲求に物理的な制限はあっても上限はなく、他者から見た場合(自己自身にとっても)必ずしもそのような欲求が自己を破滅しているようには思われないほど、物々に覆い隠されている現実が露呈し始めていることの方が現在では重要かと思います。
多くの読者は、クーンの父親の死を納得しています。それは生き物としての運命やムオトとの対比、息子との最後の語らいだけでなく、上記の言葉を述べるだけあって彼の半生が他者のために生きることができたという実感が私たち読者のなかにすら入り込んでくることにも所以するかと思います。和訳が適切かどうかは置いておいて、これがヘッセの巧妙さであり、その事実を読者が自然と実感できることもまた重要でしょう。
しかし実際の生活で、これを実行することも自分の死を納得することも困難です。青年は100年前とは異なった青春を過ごし、老年の始まり方もまた異なっています。モラトリアムは真の生活への瞬間(の欲求)を延長すると同時に老年の始まりをも延長させます。さまざまなことを経験した登場人物たちの関係が書き直すことのできないように、現代に生きる私たちは青春を過ごすその人であっても延長との関係を書き直すことができないのは確かです。物々との結びつきを強く感じた時点で書き直すことはできず、その関係や事実をなかったことにはできませんが、それとは別の関係を他者から提示されることはあります。こういう簡易な言い方は非常に心苦しいのですが、クーンが苦悩の末それぞれの関係を受け止めきれたのはその素直さがあったからに他なりません。そのように生きたとしても苦しく辛いことは必ず起こります。しかしそうした事実が関係を揺るがしはしたが、打ち砕く理由にはなりえなかった。これは状況が大きく異なった現代でも響くのではないでしょうか。
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